リウマチよもやま話

1953年ウーマンオブザイヤー
ロサリンド フランクリン。
遺伝子の二重らせん構造をみつけたようだ。当時(今でも)男の研究者は尊敬を表さなかった。

1952年 ウーマンオブザイヤー
クイーンエリザベス 2世
イギリスの女王、権力のシンボル。

70年に及ぶ女王の座を守っている。
即位したときは、植民地のエジプト、スーダン、やガーナを手放し、苦しい時期であったが、積極的な外交と行動力で誰からも尊ばれる存在に。
家庭内のスキャンダルも辛抱強く対処して、次世代に引き継いでいる。


"Long live the Queen!"(女王陛下バンザイ🙌!)

1951年 ウーマンオブザイヤー
ルーシェル ボール

”アイ ラブ ルーシー“



この人がいなければお茶の間に笑はなかった。ドリフもとんねるずもいない。女チャップリン、ルーシェル ボール。


40年間お茶の間を沸かし自分のスタジオを作ってしまいスタートレックをそこで作っていた。

1950年 ウーマン オブザイヤー
マーガレット チェイス ハウザー
アメリカの共和党員。


1950年代は「赤狩り」と言って冷戦時代に入り(アメリカとソ連の対立)共産主義者と噂された人を社会から排除する動きが西洋諸国であった。
1950年アメリカの共和党員マッカーシーが言い出してすぐに広まった。(マッカーシズム)。

 

赤狩り(マッカーシズム)をすぐ非難したのかアメリカ共和党員マーガレット.チェイスハウザー。
日本では紹介されてないが
小さな思想、誰も支持しない思想を持つことの自由を説いていた。

1940年ウーマンオブザイヤー
4人の抵抗者
ナチスの時代に入っていきます

1ーアンネフランクを匿い、死後日記を編集した。「アンネの日記」
2ー反ユダヤ勢力に抵抗した。ユダヤ人を助けた。
3ー反ユダヤ勢力に抵抗した。ユダヤ人を助けた。
4ー反ユダヤ勢力に抵抗した。ユダヤ人を助けた。

第一線ではないが草の根でナチスに抵抗していた人が、数百万人の命が失われた記憶がのこされるのを助けました。
1949年 ウーマンオブザイヤー。
シモーヌ ド ボーヴォワール。元祖フェミニスト。フランス人

「人は女に生まれるのではない。女になるのだ。」
1948 年ウーマンオブザイヤー
エレノア ルーズベルト   「人権擁護の母」
フランクリンルーズベルト夫人。

アメリカ大統領夫人を12年して国連大使になる。

外交的な旦那様とは対照的、内向的であったが、思いやりの力を存分に使って人権擁護を行う。
1947ウーマンオブザイヤー

ガンジーのお弟子さんのようだ。

カースト制度の最上級お嬢様に生まれながらオックスフォードに留学して帰ってきて女性の学校を作ったり医療制度を整えたり学部を作ったり。国家のヘルスケア尽力した。

 

すぐ国を出てしまう今のインド人にアラマ欲しい態度である。
1945年 ウーマンオブザイヤー
チエン シウン ウー
核兵器時代の開かない扉を開いた。(アメリカ)

中国からの移民、24歳でプリンストン大学で物理を教えていたとき、2つの原子爆弾を開発するマンハッタン計画に貢献をした。

1,中核のフェルミ師匠が、プルトニウムのPCR(遺伝子増幅器)がうまくいかなかったとき、ウーに問うた時、ゼノンのコンタミ(不純物の混合)のせいだと答えた。
2、核分裂性のウラトニウムを核不分裂性に変えた。(原爆の燃料となる。)



マンハッタン計画(マンハッタンけいかく、Manhattan Project)は、第二次世界大戦中、ナチス・ドイツなどの一部枢軸国原子爆弾開発に焦ったアメリカイギリスカナダが原子爆弾開発・製造のために、科学者、技術者を総動員した計画である。計画は成功し、原子爆弾が製造され、1945年7月16日世界で初めて原爆実験を実施した。さらに、広島に同年8月6日長崎8月9日に投下、合計数十万人が犠牲になり、また戦争後の冷戦構造を生み出すきっかけともなった。

「ウーがいなかったら原爆は投下できず、戦争は長引いていたことだろう。」

戦争を終わらせたかったのか、原爆を使ってみたかったのか。
1946年 ウーマンオブザイヤー。
エビータ ペロン。

アルゼンチンの元大統領夫人。
不遇な生い立ちを美貌で塗り替えていった。
かなり内政干渉をしていた。
いまだに大人気。

映画見直します。